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『ごめんなさい』より『ありがとう』
こんにちは、キーボです。
座右の銘というほどではありませんが、余裕があるときには気にしていることです。
細い道ですれ違うときに避けてもらったときにありがとう。
何かミスをしたとき、最初にごめんなさいも必要だけれど、助けてくれてありがとう。
いつからでしょうか、誰かに何かを頼んだとき、ちょっとしたことでも手助けしてくれたときに、思わず『ごめんなさい』だけで済ましてしまう。
日常の中、だれかと関わるときに出てくる『ごめんなさい』は『ありがとう』に言い換えられないかなと考えました。
些細なことですが、その日を気分良く過ごせるようなことだと思います。
私は専門家ではないので理論的に説明はできませんが、言葉が人に影響を与えるというのは間違いないでしょう。そして、得てして凡人が説明し難い様々な現象はスピリチュアルな方向で捉えられることがあります。
世界には科学では解明出来ない不思議なことがたくさんあるとよく言いますが、現在の科学では解明が難しいのであって、未来には解明できるものとぼんやりと信じています。
そんな考えの私ですが、先日、散歩の途中で不思議なことに出会いました。
散歩の途中で見る好奇心
現代の人間は便利と引き換えに運動不足になりがち。
普段の業務がほぼほぼデスクワークの私は特にその傾向にあります。
運動不足と同時に気も滅入りがちになるので、そんな鬱屈な状況から逃れるために散歩に出かけます。
散歩は近所の小山を中心としたコースを選ぶことが多く、当日もその小山を登る、プチ登山コースに行きました。
時期は11月、秋とはいえ木の葉の下や木の皮の裏で休んでいる生き物はいないかと探してみたり、藪の中から聞こえる鳴き声から野鳥を探してみたりと、一人ではありますが、いつもの散歩を楽しんでいました。
そのような感じで登っていくと山頂にはそこそこ景色の良い、ちょっとした公園があります。
南アルプスから富士山、伊豆半島を経由して駿河湾まで眺められる景色を見ながら、途中の自動販売機で購入したペットボトルのお茶で水分補給し、登って来たのとは違う道を下ることに。
若干急な下り階段をゆっくり降りていきます。
階段の両脇には1mから1.5m程度の茂みのような垣根になっており、その右側には階段のない道があります。
道の途中には余りきれいとは言えませんが、ベンチがあり小さな休憩スペースが備わっていて、お年寄りや小さな子どもにも優しい作りになっています。
いくらか階段を下っていき、麓の道路が見えてくるころの右側にある、垣根を挟んだ反対側の道にある休憩スペースに双子と思えるほどそっくりなおばあさん二人が談笑しているように見えました。

この小山は神社、麓にも遊具付きの公園があり、近所の方々の憩いの場なので、普段の散歩でも誰かとすれ違うことは当たり前のようにあること。
そのときもなんの疑問も感じず、そのままゆっくりと下っていきました。
ちょうど、そのおばあさんたちがいるであろう休憩スペースの横を通り過ぎようとしたときに、少し違和感を感じたのです。
明るく談笑していたはずの、おばあさん二人の横を通り過ぎるときに、少しも声が聞こえない。
垣根があったとしても、人がいる気配くらいはあっても良いのではないかと思いました。
好奇心に駆られた私は、垣根の切れ目からその休憩所を覗き込むと、いるはずのおばあさん二人はおらず、静かに青いベンチが置かれています。
不思議なおばあさん


おばあさんたちが消えた?
そこそこ不思議と思しき体験なのですが、まったく恐怖は感じませんでした。
あとから考えると、双子のようにそっくりで、きれいな白髪のお婆さん二人、というところに若干の神秘性みたいなものはありますが、消えてしまったという以外は当時は至って普通の散歩中の出来事として認識。
確かに消えてしまったと考えると神秘的でオカルトな側面で考えてしまいます。
誰かに共有したい気持ちで横溢なのだが、向けられる矛先が見つからず、悶々としてしまいました。
帰宅して、同居の父に伝えても、家族限定の遠慮のないスルーを決められると思うと行動には移せず。
その時点で即時的にこの感動に似た感情を共有する人間がおらず。
仕方がないので、忙しい時期の妻に自分の感動を、SNSで中途半端に伝え、文末に「つづく」をつけて送信。
反応を期待しつつ、自分も自室で仕事に取り掛かりました。
妻と共感したいけど
妻からは驚いた猫のキャラクターの絵が一つ送られてきました。
以降、反応はなく、夕方に妻が帰宅したときに、この話をすると「仕事で忙しいのに、気にしていられない」と…まあ、納得のお返事をいただきました。
なんとか共感を得たく、あれこれ身振り手振りを交えて説明をしましたが、それほどではありません。
友人と行っているラジオ配信の中でも、当該の現象について話させてもらうと、友人は「怖いよ!」と怪談としては望まれる反応をいただきましたが、少々の不信感を抱いている感が伝わってきました。
しかし、二人とも一応は真剣に私の話は聞いてくれましたよ。
さて、まあ話を聞いてくれたのは良いとして、何となく信じてもらえない感じがしたのは心残りなので、話をした次の日にも同じ場所に行ってみました。
そのときに現場の状況を説明するための写真撮影と、新たに判明した状況もありました。
くやしいので後日談

当時はもしかしたら、垣根を挟んで反対側の階段のない普通の山道を、二人で登っていったのではないかとも思ったのですが、階段のない山道をおばあさん二人が音をたてずに登れるだろうか、とともに時期的に山道は枯れ葉が積もっており『かさかさ』といった枯れ葉がこすれるような音がしなかったことももちろん、気をつけないと枯れ葉を踏んで滑ってしまうので危険です。
おばあさんたちが山道を、私の階段を下る速度以上の速さで登っていくことも、他に道なき道に進んでいったとも、考えられなくはないと思いますが、状況として不自然であることから、消えてしまった不思議なおばあさんたちに出会った、としか言えなくなったのです。
後日、同じ散歩コースで同じ場所に行き、スマートフォンで写真を撮影し、主観ではありますが推理すると、前述にあるような状況からおばあさんたちが全く気配を消して、休憩スペースから移動するということが難しいであろうということと、おばあさんたちを最初に見かけた場所からもう一度同じ目線でそのあたりを眺めてみても見間違える要素はなく、錯視的なものでもないのでは、と判断しました。
また、これも不思議というか少々驚いたのが、最初におばあさんを見かけたとき、その姿は垣根の向こう側に胸より上から見えたのです。
しかし、記憶の中のおばあさんの姿とその二人が立っていたであろう休憩所のスペースと垣根の高さから、双子のようなおばあさんの身長は180cm以上はないと、そのようには見えないというのが判明しました。
もちろん世の中に高身長のご老人が居ないわけはないのですが、近所にそのような人物が住まわれていると見たことも聞いたこともなく、今までにその散歩コースで遭遇したこともありません。
多くの人がそうだろうと思いますが、私も不思議体験は多くありません。
いくらか生きていると、日常の中に「あれ?」と思うことはあるはずです。
気にしなければそれまでですが、気になったら調べてみたり、検証してみたりするのも楽しいかもしれません。
当ブログを読んでいる方で私の少ない不思議体験を聞きたい方がいれば、また書かせていただこうと思います。
この時の話をstand.fmでも話しています。
「つづく」をつけた不思議な話 前編
「つづく」をつけた不思議な話 後編